藤井聡太七段の高校が「特別扱いしない」方針なのは立派(てか妥当)
2019年度の順位戦(第78期)C級1組の日程、対戦相手が発表になったばかりだが、やはり、2019年度も全10局、火曜日の対局となった。
当ブログでは以前から、面白半分に、藤井七段の曜日ごとの対局日数をカウントしてきたが、対局で学校を休むことについての「高校側の扱い」に関して、多くの人にとって身近なテーマでもあるのか、思っていた以上に反応があるように感じられる今日この頃。
実際のところ、藤井七段の通う名古屋大学教育学部附属高校(国立)は、「藤井聡太君」を特別扱いしない方針であることが、1年近く前から伝えられている。
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妥当なんじゃない?
私・ぶたクンは、教育の専門家でもなんでもなく、直感的なことしか言えないが、
「多分、この高校の判断は妥当なんだろうな」
という気がしていて、「この判断を改めるべき」という抗議の念は今のところ起こらない。
部活動とは違う
よく引き合いに出されるのが部活動。
部活動の試合で学校を休む場合、当然に公休扱いになるとのことだが、一方、将棋の対局がこれと違うのは明らか。
方や学校の中のことで、方や学校の外のこと。
仮に、部活動の試合を欠席扱いにしてしまったら、学校自らが部活動を否定することにもつながるので公休扱いすべきは当然の帰結と言えそうだし、また、実際問題、部活動の試合で欠席する日数は限定的で、公休扱いしてもさほど問題はないと思われる。
将棋の対局の位置づけは…
一方、将棋の対局が学校外活動であるのは明らか。しかも、日数は非限定的というべき。
そして、学校外活動による欠席を「公休扱い」にできる裁量権が高校ないし校長に与えられているとしても、ご都合主義的に何でも決めていいものなのか?
国公立の場合は、他の生徒との公平性がより強く求められると思われるので、「将棋の対局は〇〇にあたるので公休扱い」と言えるだけの明確で客観的な基準がないと、なかなか難しいんじゃないかという気がする。
※この点、私立の場合は、もとより「独自の教育方針」で教育がなされるので、その教育方針とやらの中に押し込めば、基本、何でもありなんだと思う。
高等学校における教育の目標
学校教育法の第51条に「高等学校における教育の目標」が列記されているが、一番関係ありそうなのが、2項の条文。
2項
社会において果たさなければならない使命の自覚に基づき、個性に応じて将来の進路を決定させ、一般的な教養を高め、専門的な知識、技術及び技能を習得させること。
簡単に言えば、
「一人ひとりの将来のために、一般教養を高めるとともに、より高度な知識や技能を身につけさせるための教育をするのが高校」
と言っていると思われるが、
「一般教養を高め、より高度な知識や技能を身につけさせるため」に授業があり、その授業への出席は高校教育の本質的な部分であって、出席していないものを出席したことにする(=公休扱い)ためには、相当な説得力が必要になってくるのではなかろうか。
※この点、私立の場合は、「わが校の教育方針」に押し込めば、それで説得終了…になるのかもしれないけど、それとて、例外的な措置なはずで、国公立の場合、なおさらそうはいかない。
「社会において果たさなければならない使命の自覚に基づき、個性に応じて将来の進路を決定させ」の部分は、「それゆえの学校教育であり、授業が重要」という方向に作用しそう。
だからこそ通学する価値がある
厳しさは優しさの裏返しでもあり、また、その下で過ごすからこそ、価値を得ることができるという側面もあるはず。
ユルユルな環境下で、「何となくいた3年間」では、逆にそれが「無駄な時間」となってしまうような気がする。
そう考えれば、名古屋大教育学部附属高校の判断は妥当であるとともに立派でもあると思う。
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