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藤井聡太七段、大学進学せず~「イチャラブパワーは不要」という読みか?

2020年1月7日

藤井聡太七段が、産経新聞の取材の中で、大学進学しない方針であることを明かした。

参照記事:「トップ棋士と差縮めたい」大学進学せず専念

この中で、地理が得意で英語が苦手といったことも明らかにされた。

個人の問題だが…

藤井七段が進学するかしないかというのは、藤井七段個人の問題に過ぎない。

…が、こういう話題は、「大学教育とは何か?」「何のために大学に行くのか?」といったテーマに一人一人が向き合うきっかけにはなるようで、多くの人にとって無関心ではいられない。

そして、自分なりの基準に照らし、「この判断は妥当である」とか何とか結論を出し、いつの間にか「自分の問題として」考えていたりする。

ネット民の感想

ネット民の感想は、大体、

学業との両立は大変

早くから(大学教育の範囲外で)やりたいことが見つかった人は大学に行く必要はない

大学なんて、年齢関係ないので、行きたくなった時に行けばいい

といったものが多い。

中には、

「大学は頭が悪い人が行くところ。米長先生がそう言ってた

と、米長邦雄先生の「兄貴は頭が悪いから東大に行った」を引用する人も出てくる。

そして、さんざん引っかき回した挙句、

本人の問題なんだから、そっとしておいてあげればいい

と、例によって例のごとく、「振り出しに戻る」みたいな意見が出たところでお開きになったりするようである。

大学の機能

確かに、大学を研究教育機関としてのみ捉えた場合、以上のような考えにまとまるのは理解ができる。

が…

大学はそれだけではないはずだ。

大学は健全なイチャラブ空間

多くの人が気づいていて気づかぬフリをしているのか、それとも昔のことゆえに忘れてしまったのか、重要な視点が抜け落ちていることもここで指摘しておかなければならない。

それは、「大学は、研究教育機関という以外に、男女の健全なイチャラブ空間としての機能も持っている」という点だ。

大局観に優れた藤井七段。この点が視野に入っていないはずはなく、それでもあえて「(現時点では)大学には進学しない」としているのである。

「愛の力」をアテにしない選択

何事においても、「愛の力で困難を乗り切った」…なんて話はよく聞くところ。

将棋の世界だけは例外なんてことはないはずだ。

この点、大学の「健全なイチャラブ空間」としての機能を重視して、それを仕事(将棋)に生かすという考えもあったはずだが、藤井七段は、その選択を一蹴した。

これが、「イチャラブは大学以外にも存在するのだから…」という判断なら別だが、おそらくそうではなく、「愛の力で何とかするような真似はしない」という、高いレベルでの宣言をしたと捉えるべきだろう。

ベーシックな能力を高めることを怠って「プラスアルファの力」にばかりすがる人は、大きな成功を収めることはできないもの。

この点、藤井七段は、イチャイチャ、ラブラブによってもたらされる「プラスアルファの力」に頼ることを良しとしない。

藤井聡太七段が、いよいよ本気モードに入った。

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